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my hometown color 第七話。これはとある千葉の田舎話のつづき。初めてこの町でスケートボードに乗ってから25年。溜り場だった駄菓子屋は今は運送屋の集荷所となっている。屋根がスパインになっていたスーパーマーケットはコンビニに建て替えられた。かろうじて営業を続けている床屋は、昔と変わらずバーバーネオンが回り、懐かしい整髪料の匂いを漂わせている。同級生の肉屋は名前こそ変わっていたが、店先に漂う揚げたてコロッケの匂いは昔と変わっていなかった。あの頃の商店街は人と物と匂いで溢れてた。パン屋は焼きたての甘い匂い。文房具屋からは文具と書物のインクの匂い。定食屋はウマそうな中華そばの匂い。八百屋の果物の匂いに、屋台からは焼き鳥の香ばしい匂いがしていた。その匂いに引き寄せられ人が集まる。主婦は買い物と立ち話に夢中になり、子供は駄菓子とゲームに夢中になる。そんな活気で溢れかえっていたマンモス団地はいつのまにか高齢者ばかりになって、この商店街も例に漏れずシャッター商店街となってしまった。そしてスケートボーダーの姿を見ることもなくなった。グラインドしてた縁石のワックスは完全に抜けてしまって、ゴリゴリ流せそうな気配はない。落書きしてた壁はペンキが塗り替えられていて、ステッカーをベタ貼りしてたベンチは新しくなっている。誰かが滑っている気配は皆無だった。それでも、程良い高さの三段ステアにスラッピーも可能な縁石、スロープやオブジェなどの配置は変わらないまま佇んでいて、むしろ高齢者に配慮したであろうハンドレールや、スロープが増設されていて、昔より楽しめそうな気配すら感じる。だがここにスケートボーダーはいない。今のところは・・・。そんな田舎町で、今またスケートボードをプッシュしようとしてる幼馴染みがいる。家が近所で保育園も小・中学校も同じという、典型的な幼馴染みの部類に入る塩田。少年野球も同じチームに入ったし、スケートボードを始めたのも一緒だった。ただ、高校の頃になると塩田はバイクや車に興味を持ってスケートボードはほとんどしなくなった。そして今では大好きな車の整備屋を営んでいる。それだけじゃ食っていけないようで、アルバイトしたりしてるみたいだけど、スケートボードだろうが車だろうが、とにかく遠回りしてようが、好きなことに突き進んでるその生き様は羨ましく思う。昔、塩田はパワスラが誰よりも得意だった。今では週末にサーキットへ行って車でドリフトしてるらしいんだけど、そのルーツはあのときのパワスラだと勝手に思っている。ここ十数年、実家へ帰るときには一緒に酒を呑みに行ってるが、会う度に塩田は必ずツナギの作業服を着ている。でも作業服の割に綺麗だったりする。何故かと尋ねると、仕事用と私服でツナギを使い分けてるそうだ。塩田らしいポリシーだと思った。そんな塩田が先日、新しいスケートボードを組んだ。地元での足代わりにすると言っていた。嬉しかった。本当に滑るのか、そして滑れるのか!? そんな疑問はあるけど、そんな言葉と心意気がなんだか凄く嬉しかった。勝負ツナギを着てスナックへとプッシュしてる塩田の姿を想像するだけで嬉しくてたまらない。今度実家へ帰ったときには、一緒にプッシュでスナックへ行ってカラオケ熱唱しようと思う。そしてあの商店街でも滑ってみよう。キャプテン佐藤も宇野もミッチも誘って…。つづく。

Eiji Morita

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