my hometown color 最終話。これはとある千葉の田舎話の最終話。田舎や地元って言葉の価値観や重みは人それぞれ違う。ローカルなんて言ったらかっこいいイメージを持つ反面、閉鎖的なイメージを持つ人もいるだろう。産まれ育ったおらが町にずっと住み続けてる人もいるだろうし、地元を離れ大都会へと上京したり、他府県や海外で暮らす人もいるだろう。かくいう自分も高校卒業と同時に地元を離れ、都内に生活の拠点を移して就職した。地元の連中も専門学校へ進学したり就職したりとそれぞれの道へ進み、昔のように一緒にスケートボードをしたり遊ぶ機会はすっかりなくなってしまった。スケートボードを一緒に滑るのは同じ職場の友達になり、その場所は新宿や原宿、渋谷となっていった。そして、酌み交わす酒は上司と呑みに行く。そんな都会生活が続いた。都内でのスケートボードもまた面白かった。当時はセキュリティーはそんなに厳しくはなかったし、キックアウトされてもいくらでもスポットはあった。突然滑りたくなったら西郷山公園や世田谷公園という良質なスポットが近所にあったし、そこで沢山のスケートボーダーとも知り合うことができた。そして、この時期はほとんど地元へ帰ることはなかった。東京での生活は刺激的だったし、仕事が忙しいのもあって帰る暇もなかった。「いつでも帰れる」とたかをくくっていたが、正確には「帰る時間を作らなかった」というのが何とも情けない実情だった。そんな自分に転機が訪れた。転勤で神戸へと移住するこになったのだ。神戸でのスケートボードは家から職場、家からスポット、そのすべてがスケートボードで移動できた。三宮センター街から居留地、メリケンパークからハーバーランド。街全体がスケートスポットで、どこかに行けば、必ず誰かが滑っていた。それは都内でのスケートボードとは違って、千葉の田舎町で滑っていた頃の感覚に似ていた。都内でのスケートボードは刺激的で楽しいものだったけれど、神戸でのスケートボードはそんな刺激だけでなく、自分自身の内面的な成長にもポジティブに働きかけてくれる環境だった。今の生活においてこの土地から学んだことは多い。地元の大切さもそうだ。宇野やキャプテン佐藤からの電話も都内在住の頃より増えたし、以前よりもタイミングを合わせて千葉の田舎町に帰るようにもなった。一緒に滑ることは少なく、だいたい酒を呑んで他愛もない話や昔話で盛り上がるだけだ。でもそんな時間が、地元を離れて生活する自分にとって生きる糧のひとつになっている。そして、その感覚は千葉のおらが町も神戸の街にも共通していて、誠に勝手ではあるが自分の中では神戸も地元だと思い込んでいる。そして現在は横浜在住7年目。スケートボードや子供がきっかけで、友達と呼べるような素晴らしい人にもようやく巡り会えた。数少ない友達ではあるけど、重要なのは人数じゃない。彼ら彼女らのお陰で、時間が足りないくらいの充実した日々を過ごせている。そしてこの土地で産まれた二人の子供にとっては、ココが自慢の「おらが町」になるのだろう。だから今は子供と一緒にこの土地を開拓して、おらが町の構築を楽しんでいる最中だ。産まれ育った千葉の田舎のおらが町の大切さに気づいたのは随分と大人になってからで、それは大人になったから気づくことができたのだろうか。それとも、気づくことができたから大人になれたのかもしれない。どちらにせよ、それに気づくことができたときから本当に大切なものが見えてきたような気がするし、地元の存在、友達の存在が心強く感じるようにもなった。産まれ育ったおらが町にかたくなに住み続け、番人のように地元を守ってくれてる友達に最大の感謝を込めて。「Love My Hometown !!」
Eiji Morita
May 2013 in KOBE. 大切な人と人が、町と街が繋がるのはとても喜ばしい出来事