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TANGENT

アイドルはトイレに行かない。そんなことがまことしやかに囁かれていた時代があった。そして、タレントは結婚をすると人気が下がると言われていた時代があった。しかし、今では、アイドル自らが率先して情報を発信したり、結婚してからのパパママ・ビジネスが盛り上がっていて、交際や結婚がタレントの価値や人気に陰りが出る要因にあげられることは少なくなった。スケート界ではどうだろう。70年代後半からストリートへと飛び出していったスケートボード。誰が、どこで、何をメイクしたのか。それが電流のごとくシーンを駆け巡ることはあっても、誰が結婚したかなんて、話題になることはなかった気がする。ゴンズが既婚かどうかとか、そんなこと関係なかった。プロスケートボーダーの人気に、結婚がかかわることはなかった。それよりも、どこで滑っていて、どういったスタイルで、どんなヤツかが大事だった。シグネチャームーブ、シグネーチャートリックがあれば、どんなIDよりも有効だった。ライフスタイルを最も大事にしていたのがスケートボーダーだった。中島壮一朗。彼が10代の頃から知っている。地元・鵠沼だけでなく、いろんなスポットで、さらにはサンフランシスコでシューティングをしたりもした。特集を打ったことも何度かあるし、彼にページを委ねてつくってもらったこともあった。そういえば、幾度も話して、何度も取材をしてきて、一度も訊いたことがなかったな。彼の結婚観。2014年、中島壮一朗、スケシューならぬタキシードな夏。ムラサキスポーツ茅ヶ崎のバックヤードにあったミニランプで、Mr.スラオさんにRな滑りの極意を叩き込まれ、ガチャガチャした感じで鵠沼のスポットに出現しMr.ジゾウくんたちと出会い、フェイキーテールをしのばせサンフランシスコへと渡り、もっともっといろいろあって、もてあましていた運動能力を解放していった彼が、結婚した。彼がスケーターズ・カンパニーIFO SKATEBOARDを立ち上げフルプッシュすることは、良い意味で予想できたし、そうであるべきとも思っていた。スケートボーダーとしてステージの更新を続ける覚悟は知っていた。だからこそ、スケートキッズから、スケートアイドル、プロスケートボーダー、そんな彼のステップアップの中で、結婚という人生のメイク現場を目撃することになるのも、また不思議であり嬉しいことだった。中島壮一朗はトイレに行くし、結婚してもスケートボーダーで、あいかわらず忙しなくプッシュしている。そんな彼のIFOの新作デッキ「PREDATOR」シリーズ。

Senichiro Ozawa