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TANGENT

ひと昔前のこの街と言えば、中途半端な地方都市にすぎなかった。そごうにマルイ、高島屋といったデパートに、駅から幾筋にも延びる商店街。銀行にキャバクラ、ゲームセンターやパチンコ。個人経営に大手チェーンとスタイルさまざまなお店があるけれど、魅力的なお店は限られてた。小学生の頃にデパートのオモチャ売場で駄々をこねて寝そべってた記憶はあるが、中学生にもなると魅力を感じる商品は置いてなかった。よく行くお店は、ヒロシやトオルなど名前のついた学生服を売ってる洋服店。今で言うシグネチャーモデルのようだけど、オフィシャルではなかったと思う。それでもオーダーメイドからしっかり仕立ててくれるこのお店はその道のプロショップ。各学校の番長もお墨付きで夜露死苦って感じだった。それもスケートボードを始めてからは興味がなくなり、この街に求めるものはさらに少なくなった。高校へ入ると学校帰りやスケートボードをするのに駅前は溜まり場になっていたけど、スケートショップもクラブもないこの街には、飲食代とパチンコくらいしかお金を落とすことがなかった。東京へのアクセスが良く、買い物や夜遊びは東京がほとんどで、スケートボーダーに限らず、GAS BOYSをはじめ多くのアーティストたちは、地元よりも東京が活動拠点となってしまっていた。ゆえに、この街のスケートボードを発信すべくビデオや写真はほとんど残っていない。僕らの世代のスケートボーダーは街を離れてしまったり、スケートボードから遠ざかってしまって、その後に現れたスケートボーダーとの接点はごく一部だけ。そして現在。多くの地方都市からその街のローカルシーンが、DVDやインターネットによってグローバルに発信される時代になった。そしてこの街からも49nこと遠藤義明が『COMPOSITE Magazine』を制作し、発信している。彼と出会ってからはまだ間もない。でも生まれ育った土地が一緒。それだけで、彼を応援したり協力するには充分な理由になる。ましてや彼が『COMPOSITE Magazine』を始めるキッカケとなり影響を受けたのが、GrapeVineの奥脇賢二だと聞いて、彼の目に映るスケートボード色に疑いの余地はないと思っている。彼はこの地元とその先にいるスケートボーダー、そしてスケートボードシーンをComposite(=複合)しようとスケートボードとカメラを手に街から街へとプッシュしている。そして、そんな彼がキッカケで、彼らと僕らの世代がこの地元でも徐々に繋がりはじめてきている。これは僕の勝手な願望ではあるけれど、この中途半端な街のポッカリと抜けてしまった時間と世代がCompositeされることがあれば、この街のスケートボードシーンも、少しは色濃く深みを増すことができるだろう。そんな勝手な願望を強引に押し込みつつ、この一号この一冊の積み重ねに凄く意味がある。この先ポッカリと時代が抜け落ちないように。この先も人と人が繋がり続けていくために。Love my hometown. 

Eiji Morita