Sb Skateboard Journal TOP
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盛夏がやってくる少し手前の暑い日。陽光を大きな窓から取り込んだ喫茶店のテーブルの上に並んだ2杯のアイスコーヒー。氷山のように尖った氷は時々静かにゆれながらグラスに結露をつくった。ストローに口をつける一人は絵を描く。煙草をくゆらせる一人はエディターとしてページをつくる。どこかの壁でその絵を目撃したこともあるかもしれない。誰かの本棚でそのマガジンをパラパラしたこともあるかもしれない。ただ、それまで接点はなかった。アイスコーヒーを並べ、ともに去来したものは面白いセッションができる何かを持っているのではないだろうかということだけ。違うフィールドに在住する者とセッションする場合、そこに「面白いと感じるものがあるかどうか」「敬意を持てるものかどうか」が大切になってくる。それは比較的近いところにいるか、遠いところにいるかの話ではなくて、ましてやどちらにイニシアチブがあるかどうかでもなく、フラットに見たものから受けるインスピレーションそのものが大切になってくる。夏空の下の喫茶店セッションから、何かがはじまった。はじまる予感があった。ストリートには様々なトピックが転がっている。スケートマガジンであるSbの目線で言うならば、スケートボードがストリートで哭かすウィールの音に振り向くのはなにもスケートボーダーだけではない。そして、スケートボーダーはスケートボードを本望としながらも、それ以外の様々なトピックにレスポンスしたり吸収したりしてプッシュし続けている。スケートボードにピントを合わせてページを構築するのは当然だとしても、スケートボードそのものだけにしかピントが合わないわけではない。そこから漂ってくるもの、そこに魅せられた人間、さらには一見まったく繋がっていないようなものまで、スケートボード、しいてはストリートのトピックへと帰結する。スケートボードにはそれだけの幅があり、自由があり、可能性がある。ストリートにはそれだけのトピックがあり、自由があり、厳しさもあり、突発力がある。ストリート上で起こる様々なトピックと人間をひたすら"見続ける"幣誌と、圧倒的なオピニオンを以てしてアーティストが放つ強烈な個性(色)がセッションすることは、在住する場所的に違和感があるようでトピック的に違和感がない気がした。そして、一見して何の脈略もないような、突発的なインスピレーションこそが面白いトピックかとも思えた。
Sbのグラビアページには煌めくスケート写真と並んで彼の絵が出現することもあった。彼の描く絵にSbのロゴが出現することもあった。
だからといって密接ではなく、たがいのフィールドを踏み越えることもなければ明文化したルールもなく、しかしフェイドアウトすることもなく、空が夏らしくなってくる頃にアイスコーヒーは2杯並んでいっただけ。2012年。最初の夏空から8年が経っていたそのとき、Sbのホームページに素敵なアートワークが並ぶことになった。それはストリートのスケート写真にグラフィックが映り込んでいることの延長線にあるようでもある。Sbがimaoneにコンダクト(オケの指揮者)を委ね、集まったQP、SHOHEI、SUIKO、SYUNOVEN、TENGAoneというアーティスト陣がSbの壁を埋め尽くす。アイスコーヒーを並べたセッションがいつしか気鋭のアーティスト陣が参加するハーモニーの音響のように奏でられることになったのだ。夏空がアイスコーヒーに浮かぶ氷を溶かすように、30枚の熱を帯びたアートワーク(光景)が人いきれで蒸すストリートの喧噪の間をハーモニーのように溶け流れていく。だから、Sb "FILL" HARMONYというタイトルもしくはイベントは、ボムでもなくジャックでもなく、タグでもなく、ましてや展覧会でもなく、フィルハーモニーがふさわしい。ナイスコーヒータイムを。
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